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「死にたい」「自殺願望」ご相談

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職場環境の変化(昇進、降格・異動)で
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就職・転職の失敗が原因で
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ご相談・カウンセリングの流れ

まず貴方様の「死にたい、自殺したい」という現在のお気持ちをじっくりお聞かせください。(総合アセスメント)

次にその「死にたい」というお気持ちになられるほど、貴方様を苦しめている、あるいは辛い、悲しい、情けない、もうどうにもならないという気持ちにさせている、一体何があったのかもじっくり聞かせください。

私達は生きている限り様々の出来事に日々遭遇し、様々の人に出会い、経験、体験を積み重ねながら成長してきました。しかし多くの失敗や成功あるいはミス、思い違いや勘違い、又は「知識(知らなかった為に)が無かった」為に又は「経験が浅かった」為に取り返しがつかないと思ってしまうような事もおかしてしまいます。

私はライフセラピスト(人生相談師)そして心理カウンセラーとしてこれまで数千件のご相談に対応させていただき,数多くの解決事例、成功事例を積み重ねて参りました。

貴方様のお悩みである「死にたい」「自殺願望」のご相談もこれまで数多く対応して参りました。ご相談内容をお聞きした段階で、貴方様の場合は、どのような解決法が最も解決に結びつくと確信が持てるか、これまでの成功事例を基に充分検討と精査を重ねた結果の最も効果的な解決案を提案いたします。その解決案の全てを、貴方様のお話をお聞きした最後にご説明いたします。

私自身23歳の時そして29歳の時自殺未遂の経験が有り、そこから這い上がってきた経験もございます。自殺することを断念して生きようと考え直す事が出来た背景やその後の行動も現在のこの掛け替えのない「天職」に活かせる事が出来ていると確信しております。

ライフセラピスト&心理カウンセラーの提案を聞かれて「そうかそんな解決方法があったのか!」「それは気が付かなかった」「それは思いつかなかった」「そうか、そんな風に考えれば良かったんだ」一人で考えるより私どもとお話する中で驚くような解決のヒントが浮かびあがってくる場合が数多くございます。このご相談の最初の段階でのお話合い(アセスメント)は非常に貴重な解決の糸口を見い出せる場となる可能性がある重要な場面です。安心して落ち着いたお気持ちで、ライフセラピスト・カウンセラーとの話し合いの時間を期待を持ってお役立てください。
(1)次に、今回の「死にたい」「自殺願望」の背景にうつ症によって発症している様々の 症状を抱えておられる方の場合「うつになりやすい性格」を明確にし、性格改善を行います。 周囲からの同じようなプレッシャーやストレスを受けても「悩む方と悩まない方」が存在します。

その悩みやすい、貴方様の性格をどの性格かを明らかにします。13種類の性格の中のどの性格を貴方様が持っておられるか、自己診断方式で明確に掴むことができます。明確になった悩みやすい性格は心理療法で変えてしまいます。

ご本人とカウンセラーが協力ストレスやプレシャーを感じにくい、新しい性格を追加します。性格は日常の生活で育まれてしまう一種の癖です。悩んでしまいやすい癖(性格)を削除するために、新しい性格(考え方や感じ方の癖)を身に付けていただきます。すべてカウンセラーと一緒に行いますので、ご安心ください。

(2)うつ症の重傷化によって発症した「自立神経の乱れ」は当相談ルームの自律神経回復の健康整体療法士が東洋医学整体療法による免疫力回復と自然治癒力の回復の為の施療を行っています。その際食事などの栄養摂取状況や休養方法に問題がある場合、専門のカウンセラーが生活改善のご指導とご提案をさせていただきますのでご安心ください。

(3)以上のようにうつ症の回復には「性格の改善」と「トラウマの影響の削除」「休養」と「食事改善」による貴方様ご自身の自然治癒力と免疫力の回復が必要なのです。

当相談ルームでは、以上のような手順で必ずやうつ症から自殺願望に至ってしまった貴方様の心身の回復を達成させていただきます。

解決のかたち

「死にたい」「自殺願望」の背景にうつ症を抱えておられる方の場合、

  1. 「死にたい」と思われた、せっぱ詰まった問題を貴方様との話し合いを基に、カウンセラーが解決案を数案策定し貴方様にご提案いたします。貴方様にその解決案の中から、これだったら「もう一度生き直してみたい」と思える案を選択していただき、さらに具体的で、すぐにでも取り組んでいただけるように、貴方様とご相談しながら仕上げさせていただきます。
  1. うつ症が発症されている方は、上記1の解決案で心の痛みがかなり解消されますが、身体症状が出ている場合、専門の健康整体師が身体症状を改善させていただく施療も致します。


以上1と2で貴方様の「死にたい」「自殺願望」から脱する事がほぼ確実に達成されると確信いたします。

ご相談者の声

元システムエンジニア 29歳 女性 自殺未遂

自殺し損なって、今北海道で牛たちと暮らしています。

少女時代から友達がいない状態でいつも自宅でゲームやパソコンに夢中になって過ごしていました。高校は工業高校の電気科に進み卒業後は迷わずコンピューター関連の専門学校に入学しました。友達が出来なかったのは幼稚園の頃母親と父親がいつも夫婦喧嘩をして父が母を殴ったりけったりしている様子を見て人に対し恐怖感を感じていました。母親は私を連れて家を出て母の実家のある北海道に移り住みました。母親の実家は酪農家で母は朝早くから夜遅くまで牛の世話で働き詰でした。近所には子供が少なく一人で過ごすしかなかったのです。 就職したのがコンピューターメーカ―の直系の東京のシステム開発の会社でした。毎日残業で夜10時頃までの勤務はざらでいつも寝不足の状態でした。技術の進歩が早く休みの日は新しい技術の本を読みながらでないと仕事が進まないような状況でした。ミスをすると父親によく似た室長に怒鳴られました。入社して5年目でうつ症がひどくなり会社を休むようになって、2ケ月後自宅に引きこもってしまい会社も解雇されてしまいました。自宅で一人でいつも泣いていました。自分は一体何の為に生まれてきたのだろう。友人も一人もいないし、もちろん恋人もいない、一人ぼっちで生きていてもしょうがない。誰も悲しまないし・・お風呂に入りながらカッターで手首を切っていました。意識が朦朧としてこのまま死ぬんだなぁと思いながら・・・目が覚めてみたら病院のベットに寝かされていました。母が何故かベットの横に座って泣きながら「北海道に帰ろうね」と言って私の腕をさすっていました。5日後母と一緒に北海道に帰りました。それから自宅の2階の自分の部屋で過ごしながらインターネットで「死にたい」と検索したら出てきたのがカウンセリング「あおぞら」の名前でした。クリックしホームページを見ていて「自分の価値観を知る」「自分が生きる方向性を掴む」という言葉に引き寄せられ、思い切って電話相談の申し込みをしました。カウンセラ―の方自身も過去に自殺未遂の経験者で、病室でカウンセリングをお受け、もう一度生きてみようと決心し、それから運命の人との出会いや天職(カウンセラーン仕事)との出会いを果たし、現在楽しく充実した人生を生きている死なないで良かった言っていました。生きようと思ったのは病室でのカウンセリングで自分の価値観診断と生きる方向性を掘り起こす診断で自分の生きる道が見つかった事だと言われました。私もその自分の価値観を発掘する診断と生きる方向性を知る診断を受けました。その結果全くそれまで思いもよらなかった事が分かりました。自分の価値観を表す言葉が「癒す・和合する・健康にする・お世話する・育てる・元気づける」でした。それと生きる方向性は「幸福のある人生」でした。心核が「献身型・愛型」でした。人生は「お互いが必要とされ・幸せを求める人生」相思相愛を求める・相手との思いやりや優しさのある関係を望む・気持ちの交流が極めて大切。私は自分の価値観や生きる方向性さらに「核心」を知って自然に涙が溢れてきて止まりませんでした。スカイプのスイッチを切り、表に出て母が働いている牛舎に入っていきました。母が牛たちに話しかけながら楽しそうに働いていました。牛たちも母の言葉に鳴き声で反応してまるで言葉が通じているようでした。私はここが私の居場所だったのだと直感で感じました。私は電子機器ではなく、生きている動物が合っているんだ、そう思いました。それから毎日牛舎に行き子牛の世話、乳しぼりや餌やり、牛舎の掃除すべてが楽しく感じられるようになりました。「あおぞら」さんのカウンセラーさんにスカイプでお礼の連絡をしたのは1年後でした。毎日、牛との生活での楽しさや生きがいそして私と同じように東京の機械メーカーで働いてうつになって北海道のうちのぎゅしゃに飛び込みで就職してきた男性が私の愛する婚約者です。運命の出会いだと思いました、まさかまさかの連続でした。彼の発案で300頭の牛舎の管理システムは私が開発し大活躍しています。母親は若い私たちに将来の牛舎の経営を託す考えのようです。人生は本当に不思議です。ただ言える事は本当に自分に合った生き方を出来るだけ早く知る、そのことの大切さをしみじみ感じます。「あおぞら」さんありがとうございました。あの時死なないで「あおぞら」の文字をクリックしたことが人生の分岐点でした。「ありがとうございました」

製薬会社 研究所勤務 29歳 女性

分類:職場不適応、退職勧告、うつ、自殺願望

アレルギー疾患でいつもイライラ、仕事にも集中力欠き、会社から退職勧告、自殺願望つのり、うつ状態

小学2年の時、父と母が離婚、優しくしてくれていた父が「○○ちゃん、ゴメンネお父さんとお母さんはお別れする事になった、、時々会いにくるからね」と言って抱きしめてくれ、そのまま家からいなくなった。小学5年生の兄は父にしがみついて、泣きじゃやっくていた。今でもはっきり覚えている。元々笑ったり冗談を言ったりする母ではなかったが、離婚のあと、母はいつも能面のような顔をして学校の勉強の事、通っているピアノ教室の事のことになると、練習を怠けたり、悪い成績については、たたいてでも、許さなかった。その頃から体に発疹が出来てかゆかったり、息が出来ないくらい鼻がつまり苦しかった。学校でも体の発疹のことで、男の子に「気持ち悪いー」と言っていじめられた。兄は中学までは母の言いつけにしたがっていたのですが、高校に入ってから反抗するようになり、母に暴力を振るうようになり、学校でも暴力事件を起こし、その事が原因で高校を中退し家を出て行きました。人から家の事を聞かれることが苦痛で友達も作らず一人で過ごすことに慣れていました。大学は母の勧めもあり国立の薬学部に入り国家資格を取り、大阪の製薬会社の研究所に、採用されました。産まれて初めて家を出て、会社の社員寮に入っての独り暮らしはとても開放的で心が落ち着きました。3ケ月の研修期間が終了し20名の新入社員全員それぞれ専門部署に配属されました。私は主力薬品の研究主任の助手として実験の準備、写真撮影、臨床データの整理、保存、学会の関連情報の収集整理、、主任の研究成果発表の原稿入力、パーワーポイント資料の作成等、残業は平均毎日3時間、研究所内に詰めてのハードワークでした。主任は女性で某私立有名大学の薬学部をトップで卒業した方で始めてお逢いしたした時、実家の母に会ったような錯覚をする位、共通点があり終始緊張していました。1年たっても主任さんの満足するような助手としての仕事が出来ず、いつも怒られ、主任さんは、ため息の連続でした。2年目に入って、持病のアトピー性皮膚炎やアレルギー性鼻炎がひどくなり、花粉症が併発している時は、耳も良く聞こえなくなったりして、聞き違いによるミスが頻発していました。二年が過ぎ配属が薬事整理部という部署に突然変わりました。各研究室から依頼される、世界中の新薬情報の収集や調査、学会での研究発表資料の取り寄せなど、それまでの仕事とは違い、戸惑いの連続でした。5年目の夏アレルギー疾患の症状がひどくなり、仕事中イライラがつのり集中できない事が良く起こるようになってきました。そのたびに上司に注意され落ち込み、うつ状態になり職場の人との会話もほとんどなくなりました。会社に2週間の休暇を申請し受理されたので「北海道1人旅」に旅立ちました。旅行3日目、摩周湖の近くのホテルに宿泊し、早朝の湖岸に立ったとき朝霧のもやに浮かぶ摩周湖の幻想的な美しさに「このまま霧のなかに消えて行きたい」という思いが沸き立ち「私が死んでも誰も悲しむ人はいない」「私は何で生まれてきたのだろう、誰にも望まれず、誰からも愛されず、誰も愛せず、このまま死んでしまうのが私に一番あっているのかもしれない」ボーとして立っていたら、ホテルの従業員の方が走りよって来られ、「お客様、暖かいお食事が準備できました。どうぞホテルまでご一緒しますので」「私の心を察してきてくれたんだろう」「すみません。ありがとうございます」ホテルの方の後について部屋に戻った時、やっと我に返りました。旅行から帰り、部屋の模様替えをして2週間の休暇を終え、職場に復帰した時、薬事整理部の上司から人事部に行くように言われ」、又異動かなと思って部屋に入ると人事部の課長さんに、会社から退職勧告が出ているので、できれば来月一杯で貴方から辞表を提出して欲しい。理由は聞かなくても分かっていると思いますが。「現場から貴方の仕事振りに積極性も責任感もあまり感じられない、伝統的な部内の雰囲気が壊れ、コミニケーションや緊張感が壊れてしまう、ということです。「分りました、ご迷惑かけました、来月ではなく、今月一杯で退社させていただきます」悲しさと、悔しさで何も考えられなくなってしましました。これで自分は死ぬ理由が出来た。そんな捨て鉢な気持で自分の部屋に戻りました。翌日上司に今月、あと5日間の有給休暇を消化したいので、明日から月末まで休ませてくださいと、お願いしましたら、すんなりと了承されました。5日間で荷物をまとめ、部屋の掃除を終え、部署の上司に退職の挨拶をし、長年住み慣れた社員寮を後にしました。何か重い肩の荷が、下りたような気分でした。その日の夜7時には、実家に帰り着きました。母がビックリして「あんた、何があったんや、どうしたんや」私の肩をゆすって激しく問いかけてきました。「会社首になたんや」それから先は、母は何も聞いてきませんでした。その日の夜、母が作った夕食も食べず、自宅に置いていた愛用の軽自動車に乗って途中でホームセンターでガスボンベとホースとゴミ袋を買って、よく1人でドライブした空港の全景が見える丘に行きました。買ってきたホースを車の排気口にゴミ袋をガムテープで巻き、睡眠剤10錠飲んでから、車のエンジンをかけ、30分ほど空港の美しい夜景を眺めていました。だんだん意識がもうろうとしながら、「神様、天国にもし行けたら、私の好きな白いバラの花園で眠らせてください・・・・・」ほほをたたかれ、体をゆすられ、もうろうとした意識が少しずつ戻ってきた。目をゆっくり明けると母が私の手をしっかり包んで私の名前を必死に何度も呼んでいました。母に「私死ねなかったの?」「母は私の頭やほほを撫ぜながら、大切なお前を、母さんは絶対自殺なんかで死なせやしない。お前には絶対幸せになって欲しいんや、と言いいながら大声で泣いていました。良く見ると家出をしたはずの兄も母の横で泣きながらうなずいていました。5日目には、体の調子も回復し実家に帰り母と兄と3人で食卓を囲みながら、今年の2月「人生相談のあおぞら」さんの院長さんの所に兄と一緒に相談に行き、これまでのわだかまりを解き、和解が出来たこと、私が帰った日に兄にも連絡入れ、一緒に夕食をと思ってた矢先、私がいないことに母が気付き、すぐ兄に連絡したら兄が、心当たりの場所をバイクで走り回り空港の近くの丘で私を発見し、すぐ救急車を手配してくれたという事でした。母に連れられ「あおぞら」さんを訪ねました。母は私を院長さんに紹介したら、帰って行きました。穏やかで暖かい雰囲気の語り口にほだされ子供の頃のこと、小学生時代、父母の離婚の事、イジメの事、短大を卒業し会社勤めを始めた事、、退職勧告のこと、その時の状況、対応した人のこと、思い、気持、怒り等の感情、持病のアレルギー症状の事など話ました。院長さんは、うなずきながらシートに話の内容描いておられました。私の話しが終わると院長さんはシートを横におき、私に見せながらこれまでの人生の主要な出来事とそれにまつわる私自身の悲しみ、苦しみ、怒り、北海道旅行の事、自殺未遂の事、その時対応してくれた人びとの事など、苦しみを取り巻く全体像を丁寧に解説していただき、自分を客観的に見ることが出来て本当に良かったと思いました。院長さんは解説の後「これから00さんの現在の悩みや苦しみの原因を知るために3つの事にチームとして一緒に取り組みましょう」「まず、現在00さんが、発現されている気質を知りましょう、次に様々の出来事に対する貴方様の対応する力,感性、思いを知るため13項目の総合アセスメント、3つ目に今回のお話をお聞きして分かったのですが、貴方の胎児時代、幼児時代のトラウマ的な出来事が貴方の生き方に大きな影響を与えている事は間違いないと思いますのでそれが何だったのか把握したいと思います」静かな語り口に「よろしくお願いします」と申し上げ早速一緒に取り組み2つ目までが12時に終わりました。この時点で60分の昼食休憩時間となり相談室を後にしました。午後1時に相談室に戻り、午前中に取り組んだ二つの測定結果の資料を横に置きながら院長さんに、丁寧に解説していただきました。自閉気質5、執着気質4、不安気質5で3つの統合気質の特徴が1、神経質で感覚の繊細さが際立っている。2、相手の言動に敏感に反応してしまう3、周囲との関係性に左右され思い込みや妄想から引きこもったたり、陰湿な関係におちいり易い4、心の支援者を持ち、揺るぎない関係性の中で進めたら、優れた才能を開花させる事が出来る。 総合アセスメントでは自己否定感尺度が15は極めて高い、自己価値観4は極めて低い、情緒的支援ネットワーク度の家族以外は0、問題解決型行動特性は15、近親者を含め人をあてにしない、自分の力で問題を解決していこうという姿勢が強い、全ての測定結果が恐ろしい位あまりにも当たっていると思いました。院長さんは問題解決型行動特性の高さに注目され「原因がハッキリし、課題の改善、解決の道筋をご自分で確認されたら、見事に貴方らしい充実した人生を生きられる方になられるでしょう」と言われ、嬉しさに涙が出ました。その後、胎児期と幼児期のトラウマの発掘と改善について、人の行動は全て脳からの指令で手、足、、耳、目、口等が動かされる事で、行われています。脳は行動の根源となる判断の大半を過去の記憶を元に下して行っています。そのことをまず理解してください。貴方が初めて社会人になられ就職した会社の研究主任さんがお母さんに似ていてビックリした。初めて会った、その時点で貴方のその方への対応はお母さんとの関係に連動していたと思います。「その通りでした」それと「人は生まれる前の母親のおなかの中で同時に数人の兄弟(受精卵は単独ではなく複数である)と誰が人として産まれ出られるかバトルを繰り返した後。生き残った胎児だけが生まれます。その時、羊水に溶けたりして死んでいった胎児たちはキメラ細胞として生まれ出る兄弟の体の1部になり生涯生まれ出た兄弟に影響をあたえつづけます」ではこれから静かに目をとじてください・・・あなたは今お母さんのお腹のにいます・・・私は心傷風景連想法や再解決イメージ法で母と父も一緒にいる中で自分の望む記憶に書き換えていただく事に成功し、その上で母が私と同じような環境で育ったこと、心から娘を愛しているのに表現方法が間違っていたと謝罪され、お互いの誤解やわだかまりも解消できました。兄はたった1人の妹を大切に見守って生きたい、生涯心の支えになりたいと言ってくれました。この後5回ほどカウンセリングを受け半年後地元の診療所で薬剤師として仕事に復帰、週3日間のパート勤務で働き、週2日間はピアノをこども達に教える生活で好きな作曲活動にも時間がとれ、、本当に心豊かな生活を築くことが出来ました。一度は死を選択した私を、必死に助け出してくれた母と兄、そして生きる新しい力を教え、導いていただいた「あおぞら」さんの院長さんに、こころから感謝しています。ありがとうございました。